活動の背景


活動のはじまり

 

渡良瀬川の源流に位置する足尾町松木地区は、足尾銅山の煙害等により荒廃し、国や県などの関係機関による復旧事業が約100年前から続けられてきました。その間、さまざまな困難がありましたが、現在までに荒廃地の半分ほどが緑化されたといわれています。

こうしたなかで、渡良瀬川上流と下流の市民活動グループが集まり、19965月、足尾の山に緑を取り戻そうと、「足尾に緑を育てる会」を結成し、松木地区で植樹活動を開始しました。毎年、春の植樹デーを開催、参加者は年を追うごとに増え、近年は2,000人ほどの人たちが集まるようになりました。また、児童・生徒による体験植樹や、各種団体の緑化活動も活発となり、現在社会における環境問題への関心の高さがうかがえます。

私たちの会は、荒廃した足尾の山の緑化活動を軸に、足尾町の活性化に寄与し、渡良瀬川に清流を取り戻そうとするものです。ひとたび破壊された自然の回復には、じつに長い年月を必要とします。そのためには、多くの人たちによる地道で息の長い活動が必要となります。


銅山の隆盛と公害

足尾銅山は、本格的に採掘が開始したのが1610年といわれており、江戸幕府直轄の鉱山として大いに栄えましたが、江戸時代末期には銅の産出量は落ち込んでいました。明治維新後、経営者が代わり、産銅量は飛躍的に増えました。1885年には全国産銅量の4割に迫るほどとなり主要銅山の地位を不動のものとし、日本の産業発展に貢献しました。しかし、この銅山の隆盛は、同時に大規模な環境破壊をもたらしました。鉱毒による渡良瀬川流域一帯への被害と、足尾銅山周辺の煙害が、のちに「公害の原点」として世に知られるのです。足尾の山々は、2,400haとも3,000haともいわれる地域が荒廃しました。